味覚と気候

 

懐石料理の懐石の由来って知っていますか。なぜ、料理なのに、石、というのか疑問に思ったことはありませんか。

非常に古い言葉なので諸説あるのですが、なかなか信憑性が高いのは温石(おんじゃく)説です。昔は寒いときに暖を取るのは大変でした。保温性が高い石を火で温め、布を巻いて懐にいれて今で言うカイロのようにして使っていて、これを温石と呼びました。ところで、禅宗の僧たちの修行には断食や寒行があり、そのきびしく辛い修行のさ中、僧たちは懐に温石を入れ空腹をしのいでいました。これが転じて、茶の湯で客人にお茶を振る舞う前に、お茶の刺激を和らげ、本当においしく風味を味わえるようにする程度の空腹しのぎのもてなし料理を懐石と呼ぶようになったのだそうです。

おなかがすきすぎても満腹すぎても、刺激が強すぎても弱すぎても、そのあとのお茶を邪魔します。茶の粋人が食べると決まっていたわけですから、ただおいしいだけではだめで、気の利いた趣向のあるものである必要もありました。懐石料理が非常に繊細で洗練された味わいの物になったのは、このような出自に理由があったのです。

フランス料理にもこの懐石に似たものがあります。ムニュ・デギュスタシオンmenu dégustation、テイスティングという意味です。様々な料理を少しずつ楽しむということが目的で、一皿から次の一皿への繋がりやその都度その都度のワインとのコンビネーションまで考え抜かれた知的な食事ともいえるコースです。

これらの料理は、満腹になるための食事でもなければ、エネルギーを取り入れるための食事でもありません。味覚、という感覚を研ぎ澄ませ、味わうということが目的の食事です。ある意味、味わうとは言いながらもとてもストイックなスタイルだといえるでしょう。

では、気候はどうでしょう。さまざまな気候を少しずつ味わって、自分の感じ方を研ぎ澄ませるような、そんなことができたら。

PS dialogue 2013.07

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