茶室の気候哲学 1

 

茶室。

そこではなにも予想外のことは起こることはありません。
起きてはいけない、と言った方が良いかもしれません。
作法に則り、お茶をたて、頂く。それ以上でもそれ以下でもない。
昔ヨーロッパから来たある学者さんは、日本は形式の国だと言いました。
たとえば、分かりやすい一つの例がお芝居ですが、
ヨーロッパのお芝居には基本的に形はありません。
演じる人の気持ちがただ演技となって形に表れる。
しかし、日本の伝統的な演劇である能や歌舞伎は、
まず動きやセリフの言い方など全ての形式をコピーすることから始まるのです。
型から入り、その精神を体得する。
これが日本の文化に通底してはたらく一つの論理だといえるでしょう。

茶室もそうです。
茶室は、日常のなかにある形式の結晶です。
形式に則り、そこに身を委ねる中で、
かえって精神の中に自由が戻ってくるのではないでしょうか。
何もない茶室の空間の中で、
あなたは日常の些末事にまみれて見失っていたあなたの精神とひさしぶりの再会をすることでしょう。

そんなあなたの家のもっとも特別な空間、茶室の室内気候は、
やはりもっとも特別なものでなくてはいけないでしょう。
なぜなら茶室には何もない、室内気候以外何もないからです。
あなたが茶室で自分と向かい合う時、あなたはどのような室内気候に取り巻かれていたいでしょうか。
閉めっきりの自然の気配のないような、空気の流れていく先のないような、
むっとこもったようなのは困りますね。
できれば、静寂に包まれて、しかし自然の気配を湛えた新鮮な空気が巡るような場所であってほしいのではないですか。
一つ好みを言うならば、自分に向き合う時は少し涼しい目の気候に整えておきたいかもしれません。
それはあなたの好み次第。
岡倉天心は、茶室は主人の好みのままにつくるものだといいました。
茶室の室内気候も、もちろん、あなたのおこのみで。

PS dialogue 2015.03

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