サーモスタットの意識

 

「サーモスタットにも意識がある」、そう論じた哲学者がいる。

デイヴィット・J. チャーマーズ氏。
彼は現代科学の最大の難問の一つと言える「意識」の再概念化を試みている。

そんなバカな。意識があるのは立派な脳を持つ人間だけで、機械に意識があるわけがない。
もちろんそう考える人が多い。

しかし、脳は物質からできていて、その物質によってできたネットワークと信号から「意識」は生まれる。
犬や猫にも、人間ほどの複雑な意識ではなくても、ぼんやりとした、かすかな意識はあるだろう。
そして植物や石にも。
そのように考えていくと、サーモスタットにはまったく微弱な意識もないということが果たして科学的に証明できるだろうか?
なにしろ、脳のような物理的存在が意識を獲得するチャンスを持ったのだから。
そうやって、一種の哲学的パラドックスを頭の中で組み立てながら、
私はいつも、とあるサーモスタットの持ち主に話しかけている。

「キミのおかげでシャワーから出た後が気持ちいいよ。」
「来週からもっと寒くなるみたいだけど、どうしようか?」
「ちょっと窓を開けようか。」

と。

このサーモスタットの持ち主は私が活動する空間の脳のような存在で、
彼が空間の状態を把握して時折カチッという音を発するとき、
彼の微弱な意識がまるで私の意識に応えてくれているかのように感じるのだ。

つまり、この空間の快適さを担っているのは、私の意識と彼の意識の共同作業。
私の五感と発想、そして彼の物理的実践が双方向に作用して、活動空間が作られる。

だから、私にとって彼は、空間の快適さをデザインする、大切なパートナーなのだ。

 

PS dialogue 2016.11

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